クリティカルチェーン―なぜ、プロジェクトは予定どおりに進まないのか?

E・ゴールドラット (著), 三本木 亮 (翻訳)

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シリーズは全部読んでいるけれど、自分自身が抱えている問題とか課題とかに一番近い分野を扱ったのが本書だろう。とはいっても「ゴール」にしても、「思考プロセス」にしても、役に立たなかったかというと、そういうわけではなく、過去3作はすべて、何らかの形で仕事には役立っている。
「ゴール」を読んでからTOC理論には興味を覚え、その関連の本もいくつか漁っている。先にプロジェクトマネイジメント系の本で、クリティカルチェーンなどについては触れていたので、今回は「おさらい」という感じではあったが、それでも面白くて一気に読めた。


今回は、プロジェクトマネイジメントを扱っているわけだが、プロジェクトマネイジメントという世界においても、TOC理論を下敷きにして、今まで常識と思われていた事柄にメスを入れていく。

各プロジェクトのステップで、セーフティを入れているにも関わらず、いつの間にかセーフティを食いつぶし、毎度のように遅れてしまうプロジェクト。天候の原因や、下請け業者が納期を守らなかったなど、さまざまな予測不能な要因が絡まってプロジェクトの遅れは「常識」のように思われてしまう。しかし、精緻に見ていけば、そこには気づいてみれば、あまりにも単純な数々の「おかしい」考え方や、プロセスが横たわっている。

各ステップで作業が早く終わっても、それが平均化されることがなく、結果的にプロジェクトは一連の最も時間のかかるパスの遅れに、すべての遅れが集約されてしまうということ。各ステップにセーフティを置いても、それが学生症候群などでセーフティにならないこと。


ゴールドラットは、プロジェクトでは、クリティカルパスのみにセーフティを置き、クリティカルパスの完了期日のみを管理することを提唱する。クリティカルパスを中心に置き、クリティカルパスに合流するパスにもセーフティを置く(合流バッファ)。非クリティカルパスから生じる遅れからクリティカルパスを守るためだ。1つのプロジェクトを見た場合は、これだけで、各ステップにセーフティを置いていたときより、プロジェクトはよりスムースに進む。

ただし、普通、会社にはいくつものプロジェクトが動いていて、リソースの掛け持ちが行われている。ここでは個々のプロジェクトではなく、すべてのプロジェクトを1つのプロジェクトと見なし、最も長いステップを考える必要がある(クリティカルチェーン)。そしてリソース競合などを起こしているところの業務順位を明確にし、可能な限り個々の業務を同時に動くのではなく、従属関係に配置する。
この場合は、クリティカルパスではなく、クリティカルチェーンを遅らせないようにすることが、全体のスループットの向上になる。

と、まとめてみても、(まとまってないけど)こんな知識はたいしたものではない。


このシリーズの特色はなんといっても、小説形式を採用していることだ。理論的に説明されれば、それはそれで知識として得ることはたやすくなる。
しかし、このシリーズでは、あえて小説という形式を採用し、登場人物達が悩み、仮説をたて、検証していく様を描く。
ストーリーを追うことで、読み手も、そういった思考のプロセスそのものに浸り、単純な言葉や概念の理解ではなく、自分自身の課題や仕事へはどのように応用できるのだろうか?ということを、自然と考えさせられる仕組みを提供しているのだ。

早朝会議革命―元気企業トリンプの「即断即決」経営

大久保 隆弘 (著)

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ここ最近やたらと目にするようになったのが分野の一つに「会議」を扱った本がある。
日本人はよくディスカッションが下手な民族だと言われるが(そういった紋切り型の民族感というのもどうかと思う)、確かに会社という場では、人数が増えれば増えるほど、会議の量、時間は多くなっていく。無駄な会議の時間を削るだけで、相当なコスト削減になるだろうし、会議の生産性をあげれば、会社が変わるというのも、あながち嘘ではないだろう。


日本の会議の特色は、コンセンサスを得ることであり、それが必ずしも悪いわけでもないとは思うが、なんでもかんでも「会議」という言葉で括られると、本来は結論を出さなければいけない会議でも、なんとなくゆるーい共有認識を得た、というレベルで会議が終了してしまい、そこで課題となっていたことや、TODOはほったらかしになってしまう、というようなこともよくあることだろう。

今、世に出ている会議本のほとんどは、会議のテクニック、技法、運営方法を説明した解説本、マニュアル本だ。僕も何冊か読んでいるが、その中身は驚くほど似通っている。そして、その本に書かれてあるとおりにやろうと思うと、結果的に、議事や、議長には相当なスキルと技量が必要だということを思い知らされるだけなことが多い。結果、なかなか続けられない。

この本は、トリンプが16年間にわたって続けている早朝会議をとりあげている。面白いのは、議長の役割は何かとか、ファシリテーターが何をして、とか会議の決まりはどうで、といった会議の技法を説明するのではなく、ある日の早朝会議の模様を、ほぼそのままに近い形で、ライブ形式で収録しているところだ。

ライブを読むだけで、トリンプがいかに決定の早い会社かということがよくわかる。そして、心がけやテクニックや役割といった会議技法そのものについても、ライブ形式のほうが、伝わってくるところがある。

トリンプの会議は、吉越社長が、気になることや、朝得たニュースなどを、担当者にどんどん「訊いて」いくことからはじまる。そして、そのやり取りを通じて、TODOが決まり、TODOが決まると、デッドラインが必ずひかれ、その場で担当はその責任者となる。デッドラインは、どんなに遅くとも1週間であり、1週間以内にどのようなものでも答えを得なければならない。これは絶対的なルールとなっている。
そして、毎朝の早朝会議で、そのTODOの進捗が追いかけられ、デッドラインを過ぎてしまうと、担当者はかなり厳しいお叱りを受けることになる。

関心するのは、吉越社長の質問力だ。とにかく、思いついたことを猛烈なピードで訊いてゆき、その回答を即座に求められる。もちろんん、「わかりません」という回答もあるが、そういった答えにたいしては、「じゃぁ、考えておいて、何日までに回答下さい」というように、さっさっと「誰が」「いつまでに」「何をするか」ということが決められていくのだ。
ライブで収録されている日の会議では、40ものテーマが議題に上っている。しかも1つ1つのテーマに関連性があるわけでもなく、今、吉越社長が気にしていること、興味をもったもの、ふと思い出したこと、などが脈略もなく次々とテーマとしてあげられる。担当者としても、何を訊かれるかわからないことが多く、常に、答えに対しての準備や、考え方の整理というものを求められるわけだ。これが毎朝あるのだとういう。

これは凄い経営スピードだ。

朝にこのような会議を行うことで、与えられた役割を担当はすぐにその日から動き始めることができるというメリットがある。なにせどんなテーマでも期限は最大で1週間しか与えられない。毎日やってると、担当者にはどんどんテーマが与えられていくので、担当者は毎日TODOをこなしていくことに必死になる。

毎朝の会議には現場の担当ももちろんのこと役員も全員でるため、その場ですべてが即決される。16年連続で増収、増益を達成しているというのも頷ける。とにかくスピードを最重要視し、スピードを出すために、活動のフィットが行われているのだ。

この会議が成立しているのは、なんといっても吉越社長のリーダーシップ、カリスマ性によるところが多く、これをまったく同じようにやろうと思っても、他の会社ではなかなかこうはいかないだろう。とにかくトップがどんどん質問し、それに対して、ゴーン流に言えば「コミットメント」を求められるのだ。

しかし、考えて見ると、世にある会議本を読んでも、おそらく本にあるような有意義な会議を恒常的に開くことができる会社はごく僅かだろう。
が、このトリンプ方式では、1人の強烈なリーダーシップを持った、俯瞰力のある人間がいれば出来る可能性もあるという意味では、かもすると、トリンプ方式のほうが、会社の文化として定着せしめ、長続きさせられるものなのかもしれない。

僕はこの手の本を読むと、早速実践してみたくなる。悪い癖でもあり、良い癖でもある。(そしてたいてい長続きしないのだが)

トリンプでも最初は部門会からはじまり、徐々に参加者も増えていき、会社全体に関わる会議になっていったという歴史があるようだし、早速何かしらの会議で同じようにやってみようかな。ということで早くも僕は吉越社長モードだ。

テレビ番組を見ると、ポイントが貯まる?

http://japan.internet.com/allnet/20031029/5.html

ウェブでも、見たくもない広告を無理矢理みるとポイントが貯まるというサービスはたくさんある。
この手のサービスについて、いつも思うことだが、順序が逆転してしまうと、ほとんど役に立たないのではないだろうか?


「見たい」というウォンツが先にあり、そのウォンツを満たすと、ポイントまで得られる...

というのが本来の順序だ。

ポイントが貯まるから見よう

になってしまうとどうなのだろうか。

航空会社のマイレージシステムは、初めて乗ってもらった際に、次にも自分達の航空会社を選んでもらえる可能性が高まることや、乗れば乗るほど「得」という意識が芽生える。生涯顧客単価を最大化することと、差別化の難しいサービスでの選好性の向上が目的だろう。
また、そもそも消費者側に与えられている選択肢は少なく、限られた選択肢内での比較においても、絶対的な優位性になるような付加価値がない(消費者に気づいてもらえない)という、商品・サービス上の特性があるから、まだ機能するのではないだろうか。(サウスウェスト航空ってマイレージやってたかな。たしかそんなもんなかったような)

が、考え方として、「CM」の間は、どの番組を見ていても一緒だから、どうせならポイントが貯まるテレビ朝日を見よう、なんて意識が働けば、それはそれで儲けものというのも一つある。

でも、大方の消費者はCMを見たいわけではなく、やはり番組を見たい。コンテンツを見たいわけだ。そして、どのタイミングで放映されるかわからないCMをポイントのために見るなんて動機は、どう考えても不純だろう。そうやってポイントを貯める消費者が、広告スポインサーにとって価値ある消費者かどうかということを考えなければならない。

日本テレビの視聴率不正操作の問題もそうだが、テレビ局の視聴率至上主義や、マージン商売の宿命上、GRPを稼いでマージンを大きくしなければ苦しい広告会社の構造的問題など、テレビというチャンネルを巡る広告ビジネスのあり方は、問い改めなければならないだろう。

書きあぐねている人のための小説入門

保坂 和志 (著)
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「小説入門」であり、「小説技法入門」ではない。
ある種、保坂作品によせられる数々の紋切り型の批評(ストーリーがないとか)への返答であり、現代小説、小説家の志の低さへの痛烈な批判本ともとれる本書。
この本にも書いてあるように、この本を読んで、この本の通りに、「小説を書くとはこういうことだったのか」と喜ぶような人は小説家にはなれないだろう。

小説とは、"個"が立ち上がるものだということだ。べつの言い方をすれば、社会化されている人間のなかにある社会化されていない部分をいかに言語化するかということで、その社会化されていない部分は、普段の生活ではマイナスになったり、他人から怪訝な顔をされたりするもののことだけれど、小説には絶対に欠かせない。

読み終わったあとに、「これこれこういう人がいて、こういうことが起きて、最後にこうなった」という風に筋をまとめられることが小説(小説を読むこと)だと思っている人が多いが、それは完全に間違いで、小説というのは読んでいる時間の中にしかない。読みながらいろいろなことを感じたり、思い出したりするものが小説であって、感じたり思い出したりするものは、その作品に書かれていることから離れたものも含む。

保坂さんの小説感というのは、読んでいて潔い。今、ここまで小説というものに対して志の高い人も少ないのではないか。保坂さんの小説感とは、文章や、テーマが社会的、現代的とかってことや、風景描写がよく描けている、ストーリーが面白い、キャラクタが良いといったもろもろの技法的、技術的なことではなく、いかにして全体として、言語化されえない感動を言語化するか、また、何かに抱いた感情や感覚や違和感の、その最初のエネルギーをどうやって文字のなかに引き込むかといったことに関心が集中している。
これは何も小説について言えることだけではなく、アートに関わる人が皆意識しなければならないことだろう。

企業の生き残りゲーム

日本経済新聞

日本経産業消費研究所の調べでは1人当たり平均所有枚数は9.8枚。顧客囲い込みを狙ってさまざまな企業が発行するポイントカードである。

ユニクロもスカイラークもポイントカードをやめたと。

「他社の真似はするな」と繰り返すのは、セブンイレブン社長の鈴木さん。

当たり前といえば当たり前だ。
ポーターも言うように、競争とは、他社と違うことをすることだ。マーケティングの基本とは差別化ではなかったか。
レビットなどは「二番煎じ」のマーケティングを有効な手法として考える視点を提供してくれたりもするが。

間違ってはならないのは、「他社と同じことをしない」というその意味だろう。商品やサービスの表層にあらわれた現象だけをとって、「同じ」と決め付けるのはよくない。今や商品やサービスという概念は、とてつもなく拡張され、それらにまとわりつくさまざなな属性やオプションも含めて商品は商品に成るのだ。根を辿ればまったく同じ商品が、私たちの手元では別の商品として輝きを見せることだって多い。これも「差別化」のレベルの一つだろう。
また、その商品を生み出すプロセスや、細胞レベルまで分解された個々の業務や製造ラインといったものまでもが、「差別化」になりえる。

ということを考えていると、ドゥルーズの「差異」を思い出した。もちろん「差異」の概念というか、考え方というか(そういう規定自体が無効なのだけれど)そういうものと、「差別化」は異なるわけだけれど、私たちの中に見出される「差異」というものの考え方と、法人という擬似人格の中に見出される「差異」というものに親和性を感じたのだ。

どんな会社も他の会社とは「異なる」。まったく同じことをやっている会社でも、それは「異なる」わけだ。その「違い」を徹底して考えること。その「違い」から目をそらさず、自身の強みとなる部分を強化するために個々の業務をフィットさせていくこと。これからのマーケティングは、大味で派手なものから、こういった会社のDNAみたいなものを突き詰める方向へ行くのかもしれない。なんとなくそんなことを考えてみたりして。

情報アーキテクチャ入門―ウェブサイトとイントラネットの情報整理術

ルイス ローゼンフェルド (著), ピーター モービル (著), Louis Rosenfeld (原著), Peter Morville (原著), 篠原 稔和 (翻訳), 長谷川 智可 (翻訳), 牧之瀬 みどり (翻訳)

ASIN:490090080X

情報アーキテクチャは可視化しづらい。
僕らは日常生活のなかで、無意識的にアーキテクチャに基づいた情報探査や理解を行っているのだけれど、それがあまりにも自動化してて、自然なため、裏側の構造について考えようとはしないものだ。
当たり前のことだが、テレビを買う人は、テレビ番組を見たいのであって、テレビが番組を受像する仕組みや、映像や音声を流す仕組みを理解したいわけではない。
Web構築をお願いするクライアント側も、別にアーキテクチャについて知りたいわけではないだろう。
ところが、特にビジネスとの親和性の高いWebサイトなどにおいてはクライアント側にもアーキテクチャの重要性に理解してもらわないと、プロセスが破綻してしまう可能性もあるわけだ。

本書では、情報アーキテクチャとは何か?という問いから始まり、情報アーキテクチャはどのようにして構築するのか? 情報アーキテクチャの破綻がもたらす損害などをチャート化している。第一版に比べて、レベルは格段に上がり、内容も、より学術味を帯びている。

しかし、この本で得られることは、情報アーキテクチャに関するほんの一部のことにすぎない。情報アーキテクチャという分野の裏側には認知科学記号論文化人類学、心理学といった、さまざまな分野の研究の裏づけが不可欠なのだ。
その意味では、本書はそれらさまざまな学問への「リンク」に近いものであり、本書から奥深い情報アーキテクチャという新しい分野への入り口程度のものだと考えたほうが良いのかもしれない。

映画

タランティーノ久々の新作「キルビル
すでに乗り遅れた感があるものの、とりあえず観ておかねばと、「ボーリング・フォー・コロンバイン」を観る。

いやはや「キルビル」。
タランティーノは本来、B級映画監督だと思う。
そして、B級のかっこよさというか、そういうものを追求するところにタランティーノらしさがあるのではないかと思うのだけれど、この「キルビル」に関しては、B級以下だ。
なにもかもが中途半端だ。もちろんA級を期待して観に行くと、途中で席を立ちたくなるかもしれない。キルビルを観てから座頭一を観れば、座頭一の殺陣が凄いと感じるだろう。
ユマ・サーマンの立ち回りは素人目に見ても、馬鹿にしている。その素人くささというか、馬鹿っぽさを「売り」にしているのかというとそういうわけでもなく、中途半端に「本物」を目指そうとしてしまうから、こんな消化不良の映画になってしまうのではないか。「少林サッカー」を目指すのか、「座頭一」を目指すのか、はっきりさせるべきだろう。

栗山千明はよかったけどね。

「ボーリング・フォー・コロンバイン」については、観る前にあまりにも情報を多く得すぎてしまったので、特に驚きはなかった。しかし、アメリカの闇というか病を、アメリカ人自身が告発し、それを映画というメディアをつかって、世界に語るというのは凄いことだと思う。
チョムスキーも語ってるように、やはりアメリカでは、卑屈なぐらいメディアはコントロールされきっている。

しかし、チャールストン・ヘストンの馬鹿さに比べ、マリリン・マンソンの頭のよさというか、考えの深さというか、そういうものが浮き彫りになっていて面白かったな。